2019年7月27日土曜日

ある県で開催された大学生対抗麻雀大会で初代優勝をした僕が語る勝負論 -覚醒ー


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高校生3年生にもなると部活も終わり自由な時間が増え
より一層麻雀にハマることに。
実家で1週間のうちに何度も麻雀をする状況だったので
近所のじーさんからは「中国語教室が始まったか!」なんて
皮肉をよく言われたり。

その頃は強いわけでもなく弱いわけでもなく
友達の中では普通の実力でした。
一時イカサマが大流行してイカサマ大戦争が勃発したが
あんまり面白くないのがイカサマ。
ゲームでもチートでクリアしても面白くないのと一緒で。
暗黙の了解でイカサマは封印となり
普通に打つのが当たり前に。

実はそのころまで役満を上がったことが無く
イカサマでも軽いドラ爆だったり左手芸だったりで
細かくやってたぐらいなので役満無く。
そもそも大技を狙うスタイルではなく
Aクラス麻雀で覚えた運のやり取りをベースに戦ってたので
細かい動きのせいもあったり。


今思えば転機でした。
というか、当時から何か変わったとは感じてました。

それは、初めて役満を上がったときのこと。
役満童貞だったところに役満を上がったんだから
当たり前ですが自分の中で明らかに転機で。


順位は何番目だったか忘れましたが
南場終わりのほうで自分が親な状況。
場に対子だったり筋牌が多く捨てられてるから
順子より暗刻へと。よくて七対子を狙う感じだった。
明らかに対子場だったこともあり気が付いたら
暗刻が3つ。
これは初めての四暗刻を!と。
残り2回ツモれる状況で、まだ頭1つと字牌が2枚。
絶望的ですよね。今ならそー思います。
残り2回の1回目のツモをしたら
頭が暗刻に。

「あ、あれ?これダブル役満?」

四暗刻単騎待ち
うちのローカルではダブル役満。
今でも覚えてますが、南白のどちらかを切ることに。
場にはどちらもチャンスがあるので選択しないと。
そのときは一瞬悩んだんですが、スパッと白を切る。
しかも、リーチで。意味ないですがね。

高校生だったし初めてだったし、何かデカい役を張ってるな
ってのはバレバレでド警戒され安パイを切られる始末。

なんでかわかりませんが、ツモる前からいる気がしたんですね。
なんででしょうか?
ラスツモで南をツモって無事四暗刻単騎ダブル役満。

この日からですね。勝率もそうだし役満も結構な頻度で
上がれるようになり。当然平打ちで。
麻雀の神様が降りてきたんじゃないのか!
ぐらいの気持ちになるぐらい調子が良くなり。

もし、四暗刻単騎待ちで白を残し南を捨ててたら
多分麻雀人生は違ってたと今でも思います。
それぐらい影響を与えた1局でした。


続く

2019年7月24日水曜日

ある県で開催された大学生対抗麻雀大会で初代優勝をした僕が語る勝負論 -出会いと学びー


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麻雀との出会いは中学生の頃。
友達がお兄ちゃんに教えてもらった麻雀を自慢げに話ししたことから
みんなでやろうぜ!と。
中学生の頃なので1989年-1991年ぐらいの間だったかな。
昔はどの家にも麻雀パイがあり、コタツを裏返せば麻雀台に早変わり
どこでも麻雀が出来た時代。
友達の家で数人集まり麻雀をやったのが初めて。
当然ルールもわからない状況でやったので結果も
何もあったもんじゃない。
なんなら麻雀やってる4人以外の待ちメンバーは
「ときメモ」やってて、その記憶のほうが大きかったりと。
そこでは麻雀にハマらなかった。

ほぼ麻雀はやらずに高校生になり部活に勤しんでる毎日。
ギャンブル好きな友達が多く休憩時間はブラックジャックだったり
ポーカーだったりで賭け事をやってたかどうかは言いませんが
そんな環境で順風満帆に過ごしてた。
そんな奴らが周りにいたので当然ギャンブルがエスカレートして
パチンコ・パチスロと。麻雀なんかはしばしやったり。

たまに実家でも麻雀をする時があったため親族には
麻雀にハマってる認識だったのか、親戚のおじさんからある本をもらいました。

「Aクラス麻雀」阿佐田 哲也

活字嫌いなのはバレてたので本を読ませるのが目的で
渡されたと思いながら取り合えず読んでみるかと。
正直、適当に流し読んで返そうかと思ってたが
読めば読むほど目からウロコ。
「麻雀は運のやり取りである」
という名言を心に刻み今に至るし
今でもこの本がベースになってるのは間違いない。

はっきし言って今風ではないです。
デジタル麻雀の昨今、考え方がまるで違うのでお勧めはしないです。

ただ、自分のベースはこれなんです。


実はもう一冊もらった本が

「阿佐田哲也の麻雀秘伝帳」阿佐田 哲也

こっちは「玄人技」いわゆるイカサマについての
説明が詳しく書いてある本。
かなりの玄人技が書いてある。
高校生だったのもありこっちは熱心に読んで覚えて実践しました。
全自動卓なんてないのでイカサマし放題。
高校生にモラルはなくみんなせっせとイカサマをしては一喜一憂して。
ま、友達内で遊ぶ程度だったのでご愛敬なんですがね。

のちの"イカサマ大戦争"が勃発したのは言うまでもありません。


この二冊で麻雀の心構えと力業を習得しました。



続く

2019年7月22日月曜日

ある県で開催された大学生対抗麻雀大会で初代優勝をした僕が語る勝負論 -プロローグー


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とある田舎の大学に通ってる普通の大学生だった。
麻雀やパチンコ・スロットなどのギャンブルに明け暮れてる日々、
よく麻雀を一緒にしてる友人に誘われて雀荘主催の県内大学生における
頂上を決める麻雀大会に出ることにした。
催しが初めてということで優勝すればその県の初代チャンピオンになれる
ということで結果、自分が優勝してチャンピオンに。

っていうことを、急に思い出した。
20年ぶりに。

きっかけはプロゲーマーの梅原がアップしてるyoutubeの動画の中で
彼が過去最大にリスペクトした人をゲストに呼んで
対談してるという内容を見たとき。

リスペクトをしてる人は太刀川という一風変わった苗字の人で
その人をやたら褒めるんですね、梅原が。
太刀川さんは初代スト2ダッシュの全国大会優勝者ですごい人だと。
その話の中には当時スト2全盛期の中で多くのトッププレイヤーから
一目置かれる存在だったこと。
梅原がゲームセンターでいくら強くても、太刀川さんの連勝記録を塗り替えようが
梅原は「強い」という評価に対して太刀川さんは「凄い」という評価だそうで
いくら強くても皆の記憶に残るのは太刀川さん。
見せるプレイ、魅了するプレイの大事さを学んだという話をしてました。

太刀川とは http://fgamers.saikyou.biz/?%E5%A4%AA%E5%88%80%E5%B7%9D#.XTVb6-j7SM8

当時自分もスト2をリアルタイムでやってた世代で
年齢的には太刀川さんと梅原の間です。(おっさんです
その時代はインターネットが無くて情報が一般化されてない状況でした。
"ガイル封印"だったり"真空投げ"だったりが有名ですが、
バグだったりハメ技だったりが噂話で聞いたり実際対戦で食らったり、
プレイを見て技を盗んだり。
ほとんど経験値からくるプレイスタイルで人によって全然動きが違くて、
定石がない自由なプレイスタイルでゲームが出来た時代でした。

それに比べて、今なんかはみんな同じ連続技を使う、
同じような状況で同じように動くし練習環境が整ってるため皆上手。
ま、Youtubeの動画でトッププレイヤーを参考にするからこそ
みんな定石通りやって強くなってる人が多いと思う。
それがどーこうって事ではなく、自分もゲーム動画を見て参考にし、
最適な動作を心がけようと練習し実践してることがほとんどで、
当たり前だと思うし別に何も思わなかった。

ところが、梅原が言った「強さ」ではなく「凄さ」って話に
太刀川さんが返した話が
「当時は他人と同じプレイをするのが嫌で、ちょっと変わったことばかりやってた」
「太刀川というプレイスタイルを人に見せたかった」
これを聞いたときに定石通り強いプレイをするだけで勝っても人は魅了されない
想像を超える何かを求める姿が結果「凄い」につながるんだろうな
って思いながら強烈にフィードバックした記憶が

「学生対抗 初代チャンピオン」
でした。



続く